私が住む地域は直接被災したわけではありませんが、仕事で行政の事業やNPOにも少しだけ関わっているので、道路や鉄道の交通網の遮断によって中止になったり、不都合がある中で強行したイベントの対応などに追われていました。
人が多く集まる場所に献血車が回れないため県内の医療用血液が足りないということで、献血の呼びかけ活動もしました。
そんな中で、これは台風とはぜんぜん関係ないのですが何故か私のスマホが壊れ、職場のパソコン(Windows7)が突然立ち上がらなくなり、まだ「10」に移していないデータを吸い上げる作業を徹夜で行ったり、30年来の知人で大好きだった人が2週間前に動脈瘤で亡くなったことも知らずにいたことを悔やんだり、今月初めに再就職活動で4時間の面接の末に内定を貰った会社に辞退を申し出たり・・・
まあこんなのは私的などうでもいい話ですが、ニュースではホームレスの受け入れを拒否した避難所の話とか、相変わらずの安倍政権のでたらめさとか、天皇即位の礼の話とか(これこそほんとにどうでもいい)が目に入り、気が滅入ってきます。
これからこども食堂のためのフードドライブとか、被災地の義捐金集めとか、個人的にはバレエ教室の発表会写真のDVD作成やらなんやら、やることはたくさんあって忙しいのですが、自分がなにかの役に立っているとか良いことをしているなんて気持ちにはぜんぜんなれず、なんだかずっと気持ちが沈んでいます。
もう「自己責任」とか、「差別じゃなくて区別」とか、「正論」とかって言葉は聞きたくない。 マイノリティや自分と考え方が違う人や国を貶めて攻撃するネット住民の「ご意見」が世の中の大半の人の意見とは思いたくないけれど、ああ、ほんとうに気が滅入ります。
私は生徒の中でも年長者でレッスン暦も長いので、センターレッスンの時に前に出て行かないと怒られる。
今日は疲れているからと後ろのほうに隠れていたりすると、「なにやってんの!」になる。
消極的な人間が大嫌いなのだ。
で、前に出た私は堂々と振りを間違えたりバランスを崩したりするものだから、先生から叱咤が飛ぶ。
「きよりさん!!何十年バレエやってるの!」
・・・ええっ、そんな・・・「なんじゅうねん」なんて言えるほどやってないし・・・
途中ずいぶん休んでいた期間があったし・・・と心の中でいい訳しながらテレ笑いする。
すると教室中が笑いの渦に。
先生は生徒たちにウケたこのフレーズが気に入ったらしく、レッスンのたびに使う。
「きよりさん!何十年・・・」
やめてよ先生、めちゃ恥ずかしいじゃないですか、と思うけど、皆、和むわ~なんて言って喜んでいる。
10も20も年下の人から、レッスンの日にきよりさんの車が駐車場にあるとほっとする。とか、勇気が出る。と言われた。尊敬しているとも。
え?どういう意味? ほっとする? 勇気? 尊敬?
ぜんぜん嬉しくない。
だって、何十年もやっててコレですか? (自分はまだマシよね。)
と思われているってことでしょ。
でもまあ、事実なんだからしょうがない。
“好きこそものの上手なれ”という言葉があれば、“下手の横好き”という言葉もある。私は完全に後者のほうなのだろう。
みんなが私の存在に癒されるなら道化に徹してもいいや。
と居直って、ちょっと気を抜いてレッスンしていたら、また振りを間違えた。
すかさず
「きよりさん!!何十年バレエやってるの!!」と先生の怒鳴り声が・・・
しかし誰も笑わない。
私も顔が引き攣って笑えない。
今日は先生、本気で怒ってる。
同じことを何度も言わせたり、レッスンがいい加減になることが大嫌いな人なのだ。そして何より向上心がない者を嫌う。
いやぁ、マジ怖かった・・・
いくら下手の横好きでも、居直っちゃいけなかったのだ。
どうせ私は・・・とか、どうせもう歳だし・・・なんて思ったらレッスンする意味がない。
怒られて良かった。。。
たとえアマチュアであれ、周りには長年に渡り何かをやり続けている人たちがたくさんいる。 その人たちの発表会や展覧会や公演などは、観に来てねと誘われたら私はほぼ断らない。
なぜなら何かを夢中でやっていたら、その発表の場を誰かに観て貰うのは嬉しいことを知っているからだ。 年に一度、あるいは数年に一度の晴れ舞台なのだから、都合がつく限り行ってあげたいと思う。
何年にも渡って知人の発表の場を見続けていると、最初は興味の対象になかったものも面白く感じるようになるなど、自分の興味の幅が広がっていったのは間違いない。
すると、知人本人はもとよりその周りの人々の上達度というか成長のレベルもよく見えるようになって、驚いたり感動したりして楽しめる。
相手は私のことなんて存在すら知らないだろうけど、私は毎年あなたの成長をしっかり見ていますよ、と心の中で思い、「蔭ながら応援」ってこういうことなのねと実感したりもする。
私自身がいま人に発表するようなことをやっていないから、もっぱら他人の上達と成長を見るのが楽しみなのである。
実はこういう感覚って若い頃にはなかったなと最近気づいた。
以前は、知人の発表の場に行くのはあくまでも自身の刺激のためだった。
そこから何かを掴みたいとか、学びたいとか、批判したいとか、特に意識していたわけじゃないけど、賞賛したいという気持ちですら全て自分のためだった気がする。ライバルとしての偵察であったりもした。
なにより今と違うのは、興味がないと思ったものには最後まで興味を持つことが出来ず、義理で行かなければならない時はイヤでイヤで仕方がなかったということだ。
今は義理でもあんまりイヤじゃない。
「誘えば来てくれる人」というだけの立ち位置でもぜんぜん構わない。
これは老境というものなのだろうか。
拍手をすると「この記事へのコメント」というのが開き、これにコメントを入れると相手の管理ページ「ブログ拍手」に表示されることは以前に書いた通りのようです。
それで、私が疑問だったのは下記の2点です。
①拍手コメントを書いてもブログ上に表示されないのに、「公開」「非公開」にチェックを入れるのは何のためなのか。
②自分のところに届いた拍手コメントに「お礼」を書くと、その「お礼」は相手のどこに届くのか。(自分はお礼を書いたつもりだったのに、相手はそれを確認していないと聞いたので)
わかりました。
公開の拍手コメントとお礼コメントは、同じ記事の「拍手」を開くと下のほうに表示されるのです。
つまりもう一回拍手を押して、拍手コメントのページの下の方を見ることで拍手コメントとお礼コメントが確認できるというわけです。
ブログ上では拍手コメントが表示されないというのは間違いでした。
①の疑問の答えは、公開コメントは表示されて、非公開コメントはここに表示されない(相手の管理ページに行くだけ)ということだったのです。
②の答えは、お礼コメントは相手の管理ページに届くのではなく、同じくここに表示されます。
確認するには拍手コメントを再び押さなければなりません。
で、それでいいの?と思うのは、相手が自分の拍手コメントにどんな返信をしてくれたのか確認したくて拍手を開いてくれた場合、その時にまた拍手数がカウントされるということです。しかも確認しようと自分で自分の記事の「拍手」を押してもカウントされてしまいます。
人の拍手を増やすのは抵抗ないけど、それで自分の拍手が増えてもどうなんだろうと思います。
もちろん拍手数が増えるのは励みになるし嬉しいことなのかもしれないけど・・・
この仕様、わかりにくいし、なんか納得できません。
■YAHOO!ブログにはあったけど、FC2ブログには無い機能
「あなたがコメントした記事」
ここにはこれに相当する機能が見当たりません。
だから自分がコメントを付けた記事に、リコメあるいは新たなコメントが付いたかを知ることができないので不便に感じます。
今はブロともが少ないのでマメに見に行けば済みますが、過去どこにどんなコメントを書いたか自分で忘れてしまうと、相手のリコメを見逃す可能性が高まりそうです。
「みんなのブログ更新」
ヤフブロには「お気に入りの人」を登録する機能があり、その人たちの更新情報がわかるようになっていましたが、ここではブロともになる以外知ることができません。
気に入ったらブロとも申請すればいいだけと思いますが、相手の承認不要でファン登録できたのと違い(もちろん相手側には通知されますが、その人が自分をお気に入りにするか否かは自由だったような)、改めて双方合意のお友達になってくださいと申請するのは勇気が要ります。
それと、わかってきたのはFC2ブログには、コメント欄や拍手やブロとも申請機能を初めから外している方が割と多くいらっしゃるということ。
私が以前から時々覗いている魅力的な文章や情報を発信されている方のブログもそうなのですが、コミュニケーションに趣をおかないスタンスの方だと思うので、そういう方のブログはブックマークして時々チェックするようにして拝読させていただいています。
「ゲストブック」
私自身ヤフブロではそんなに使ってなかったのですが、これがないのは意外と不便だと今更ながら気がつきました。
ちょっと個人的に伝えたいことがあったとしても相手の記事のコメント欄に書くしかなく、非公開コメントにしたとしても記事に関係ないコメントを残すのは気が引けます。メッセージ機能とかを使えばいいのかもしれませんが、そこまで大げさではなく・・・と思うので、気軽にできないのは残念です。
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長年使い慣れた機能がないと気づいたとたん、ああなんて不便なんだ!と思ったりしますが、
多分ここにはヤフブロより優れた機能もたくさんあると思うので、そっちに気づくようにして少しずつ慣れていこうと思います。
まず私は、ブログ本体と管理ページがバラバラなのが何とも不便に感じたので、ブログページから直接管理画面に行くことはできないのかを調べました。
Yahoo!ブログのように、すぐ「マイページ」に移行できればいいなと思ったんです。
それで人気ブログなどを覗くと、リンクに「管理画面」というのが貼ってある。
ふ~ん、そういうやり方なんだ・・・と思ったけど自分じゃできないので、即、共有テンプレートの中からこれがあるものをお借りしました。
まず、簡易モードをOFFにして、「テンプレートの設置」からPC用の「共有テンプレート」追加を選び、条件を選んで(技術はValid志向を選びました。よくわからないから一番上のを^^;)
それで適当なのをプレビューしてみて、これでいいやと5分で決めてしまいました。あとでいくらでも変えることができるだろうしと。
これでブログの体裁が整った感じに見えて、リンクの「管理画面」にすぐ行けるようになりました。
記事自体は、写真とか文字の大きさとか色とかそんなに凝るつもりはないので、すぐに投稿することができました。
でも困ったのはコメントです。
書いたものがすぐ反映されないで、なんか承認画面にはタイトルとかURLやメールアドレスを書く欄があるし、パスワード入れるのか?とか、不安でした。
わかったのは
・URLやメアドはいちいち入れなくてもよいこと。
・パスワードは入れたほうが、後で編集ができるので便利ということ。
パスワードを入れないと、投稿した後に字を間違えちゃったから直したいと思っても、コメントそのものを全部消して、もう一度再投稿しなければなりません。
・非公開コメントにチェックを入れると、ヤフブロのようにコメント欄で管理人だけ読めるというわけではなく、「このコメントは管理人のみ閲覧できます」と記載されます。
管理人は管理画面の「コメントの確認」で確認しに行って、そこから返信したい場合はします。
返信はコメント欄に表記されます。
・「拍手」について
基本的にFC2の拍手機能は、誰が押したのかわからないようになっているみたいです。
拍手をすると「この記事へのコメント」というのが開きますが、これに記入すると、たとえ「公開」にチェックを入れたとしてもコメント欄に載らず、管理人が管理画面の「コミュニケーション」→「ブログ拍手」を確認しない限りわかりません。
このことは一昨日気づきました。
これに返信してみたんですが、相手のどこに返信されているのか、まだ確認できていません。
だから“拍手入れたよ“と知らせたい人や、個人的に内緒コメントを入れたい人のみ拍手からコメントを入れてくださいね(笑)
まだまだ使い勝手が謎のブログですが、いろいろいじってみて、今のところ私がわかったことを書いてみました。少しでも参考になれば幸いです。
みなさんも何か情報があったら教えてください。
それと、思ったのは、FC2ブログというのは、いわゆる新しいブロともや読者を増やすのは大変だなということ。
自分が動かなきゃ誰も読みに来てくれません。
ブックマークからだと足跡も残らないから辿れないし、気楽に人のブログを覗いて、ちょっとコメントってのもなかなか気が重く・・・
ジャンル別で見に行っても、魅力的で面白そうなブログを見つけるのは一苦労って感じに思えます。
みなさん、なんて書いたけど、私はブロ友三人しかいないしww
ま、当分それでもいいと思っています。
散々事象を並べた上で語尾をうやむやにして、「・・・だから・・・ね? わかるかなぁ・・・」と言われると、代わりに言ってあげたりする。要するにこういうことよね、と。
すると、わぁkiyoryさんたら辛らつねぇ・・・うふふ、なんて態度を取られ、最後まで自分の気持ちを言わない相手にイライラしたりする。
案の定、後日、「kiyoryさんがこう言ってた。」という噂が耳に入ってくる。
それはたいがい共通の知人の悪口だったり、何かに対しての批判だったりするので、はあ?となる。全て私が言い出したことになっているから。
噂を流したのはその張本人に決まっている。自分では言いにくい気持ちを代弁してくれる人が現れたのだから、嬉々として周りに言いふらしているのが目に見えるようだ。
そりゃあ私も話を聞いているうちにその人の気持ちに寄り添って忖度したのは確かだけど、その人に言われなきゃその瞬間まで特になんとも思ってなかったことなのだ。
でも言葉にして言ったのは私だから、そんなこと言ってないよ、とは弁明できない。ま、いいかと思いつつ、あ~あ、またやられちゃったよと思う。
実は世の中には本当に言いたいことを言わないで「他人に言わせる」ことが上手い人がいると気づいたのは20年も前のことなのだが、同時に自分は誘発されやすい人間なのだとも気づいた。
誘発されると、よりはっきりと、より過剰に代弁してしまう傾向にある。
だから「他人に言わせる」人に私は好かれる。
分かってくれるのはアナタだけなんて言いながら寄ってくる。
でも私は決してその人に共感しているわけではない。
共鳴体質ではあるけど、共感能力は低いというか、言いたいことが分かるだけで、むしろそういう感情とか考え方が苦手だったりする。
相手は、あースッキリした。話してよかった。などと言うけれど、私はどんどんストレスが溜まる。曖昧にほのめかして、お調子者の私を誘発しないで欲しいと思う。
もう関わらない。もう言わない。
元から居た人みたいに振舞って、なるべく目立たないようにするのだ。
ここは前のところより静かな環境のようだから、自分にとって居心地は悪くなさそうに感じる。
マイペースで好きなことが書けそうだ。
先日、小澤征爾・松本フェスティバルの演目のひとつ、オペラ『エフゲニー・オネーギン』のゲネプロを観に行った。
この音楽フェスの良いところは、本番さながらの最終リハーサルを無料で公開してくれるところ。
もちろんそれを観るためにはそれなりの手順は必要なのだけど、まともにいい席を取ったら2、3万円もするオペラやオーケストラ演奏を気軽に観たり聴けたりするというのは市民の特権だと思う。
この作品はプーシキンの韻文小説をもとにチャイコフスキーが作曲してオペラ化したもので、バレエにもなっているし、けっこう有名な演目らしいのだけど、私は観るまでぜんぜん知らなかった。でも今回は演出も舞台装置も衣装も音楽演奏も歌手も素晴らしくて、おお、これぞオペラ!というくらい見応えがあった。今まで観た中では一番魅力的な舞台だったかもと思ったくらい。
ロシアの片田舎、都落ちしてきたと思われる青年オネーギンは近所に住んでいる地主の娘で内気な文学少女タチアーナに一目ぼれされて熱烈な恋文を受け取るのだが、ニヒルを気取るオネーギンは、結婚するなら君だと思うけど自分は結婚に幸せを求める人間ではない。君ももっと分別を持たなきゃいけないなどと説教まがいのことまで言って振ってしまう。すべての人々を俗人として軽蔑し、退屈していたオネーギンは、親友の婚約者でタチアーナの妹オリガを遊び半分で誘惑し、それに怒った親友はオネーギンに決闘を申し込む。結果、オネーギンは親友を撃ち殺してしまい、傷心を抱えて各地を放浪するはめになる。
虚無感を抱えたまま数年後に帰ってきたオネーギンは、公爵に嫁ぎ社交界の華となった成熟したタチアーナと再会する。実はタチアーナもオネーギンを忘れられないでいたのだが、オネーギンがタチアーナに思いを伝えると、今度はオネーギンのほうが振られてしまう。タチアーナに今も貴方を愛している、でも時間は元に戻らないのよ、永遠にさようなら、と言われて。オネーギンは絶望の底に沈み込む。
といったような話。
まあ上流階級の男女の恋のすれ違い話というか、若気の至りが招いた悲哀というか・・・悲劇なんだろうけどあんまり悲劇的な感じがしないのは、農民や乳母を含む田舎に暮らす人々や親友や妹が人生に前向きで明るく描かれているのに比べて、主人公オネーギンが只一人バカみたいに厭世的で滑稽に見えるからかもしれない。
大概の人は純粋でまっすぐな娘タチアーナの気持ちに沿ってこの歌劇を見ると思う。それだけ出番も多いし、ソロ場面もたくさんあって、タチアーナの魅力満載の演出になっている。一緒に観た知人(このゲネプロ見学のチケットを譲ってくれた人)も、オネーギンはどうしようもなく嫌な男だけど、舞台は美しくて、タチアーナは最高!と言っていた。
でも私は嫌な男オネーギンに思い入れてしまった。そして若気の至りのようなものを次々に思い出して、なんともいえない気持ちになった。いや、昔の恋バナのことだけじゃなくて。
なんかねぇ、この歳になると若かった頃の自分の残酷さとか滑稽さとかにしみじみしちゃうのよね。 つい数年前まではその延長にいたからか、そんなに気に留めることもなかったのだけど、最近特に思い出す。 無用に人を傷つけたり、無知ゆえの怖いもの知らずな行動や、頭でっかちの発言とか。
いえ別に後悔しているとか、時間を元に戻したいと思うことは・・・・・
あるわね(笑)

